真冬にシャブリを❾
2020.03.02
〈ドメーヌ・ウィリアム・フェーブル〉と〈ドメーヌ・フレイ〉は、同じようにテロワールを忠実に表現することをワイン造りの最終目的地としながらも、そこへと至る道筋は対照的です。両者のコントラストは、シャブリの懐の広さを理解する上で良い材料になると思います。 〈ドメーヌ・ウィリアム・フェーブル〉から訪ねましょう。15haのグラン・クリュと16haのプルミエ・クリュを所有。シャブリ最大のグラン・クリュ所有ドメーヌです。
醸造施設は郊外に移り、元々のドメーヌだった建物はオフィスと来客用に使われている。
1998年、フェーブル家はシャンパーニュの名門アンリオ家に経営権を売却。この時、醸造責任者に抜擢されたのが、当時弱冠31歳だったディディエ・セギエ氏でした。今も「フェーブルの顔」としてドメーヌを率いるセギエ氏は、就任直後から大胆な改革を断行。機械で行われていた収穫を手摘みにし、新樽を排してピュアなワイン造りを目指しました。
“フェーヴルのピュア”を生み出す醸造施設。
「テロワールを表現するのに大切なのは純粋さとフィネス(上品さ)」と51歳になったセギエ氏は変わらぬワイン哲学を語ります。2006年からはブドウの有機栽培に取り組み、10年には全てのグラン・クリュをビオに転換(認証は取っていない)。14年からはヨンヌ県内で初めてHVE(環境価値重視認証、詳細は後述)にも取り組み、最も高度なレベル3を取得。すでにビオディナミを実践しているグラン・クリュに加え、数年後には右岸の3つのプルミエ・クリュもビオディナミにしていくとのこと。それら全てが「純粋さとフィネス」のためだとセギエ氏は言うのです。
お馴染みの半円形のテーブルでテイスティングが始まる。
僕はセギエ氏と、ここ10年の間に3度の“セッション”と呼びたくなるような、貴重なテイスティングをさせてもらっていますが、その度ごとに、まるで雪解け水の流れる清流に身を浸すような気分を味わっています。それほどに彼のワインは透明感が際立っているのです。ひんやりとして透明な水の向こうにクッキリと見えるのは、それぞれのクリマの個性に他なりません。シャブリについて一から学びたいと言う人がいたら僕は躊躇なくこのドメーヌから入ることを勧めます。その圧倒的な透明感の出所は、すでに述べて来た諸々の要素から来ているのですが、中でも際立っているのは収穫が早いことでしょう。「他のドメーヌと比べて、我々の収穫日は1週間くらい早い」とセギエ氏は言います。
グラン・クリュ、プルミエ・クリュがズラリと並ぶ様は壮観。
他所よりも1週間早く収穫するというのは想像以上にリスキーで勇気のいることです。ひとつ間違えば、糖度(アルコール度)が不足し、ワインの味わいの基となるフェノール類にも乏しい、軽くて酸っぱくてスカスカのワインになりかねません。実は、10年以上前に最初にこのドメーヌを訪ねてテイスティングをした時、ワインのピュアさには驚嘆したものの、どこか綺麗すぎて物足りないというか、心の奥の方に響かないという印象もあったのです。それは、同時期に回った他のドメーヌのワインとの比較で感じたことです。例えば人はちょっとした欠点があるとかえって魅力に感じることがありますが、ワインにも同様のことが言えるのではないでしょうか。この辺りの感覚はワイン好きの多くが理解してくださると思います。しかし、2度目、3度目と、時を経て改めてテイスティングするごとに、〈ウィリアム・フェーブル〉のワインは明らかニュアンスとテクスチュアを増してきました。今では、ある種の神秘を纏ったとさえ言えると思います。収穫時期は早めにしたままでそれを可能にしたのは、有機栽培であり、ブドウ木の樹齢であり、野生酵母によってじっくりと発酵させていることであり(プティ・シャブリとシャブリは培養酵母を使用)、さらにはセギエ氏という人間の成熟だったと僕は密かに思っています。
ランチに出された白身魚のクリームソース添え。どういう料理がシャブリに合うかは地元の人が一番知っている。
1本分だけ、テイスティングコメントを残しておきましょう。 「シャブリ・グラン・クリュ レ・プリューズ2013」は、マジョラム、白い花の香りが穏やかに立ち、石のミネラル感とカリンジャム、アプリコットのトーンがそよ風のように交じります。抑制が効いていながらも、その先にとてつもない広がりがあるのがわかります。その広がりは、野花が咲き誇る春の野。ボッティチェリが描いた「春」、あるいは、ヴィヴァルディの「四季」の「春」の世界でしょうか。貴腐ワインにあるような官能的な香りがあるとセギエ氏に言うと、この年には確かに少しボトリティス・シネレア菌がブドウに付いた(ソーテルヌなどの甘口ワインで見られる現象で、ワインに独特の深い風味を与える)とのことでした。
右が本文に登場する「レ・プリューズ2013」。左の「シャブリ・グラン・クリュ ブーグロ コート・ブーゲロ2014」は、白い花の香りにヨードっぽさが交じる。金属的なミネラル感があり、力強い。
仕事でワインを飲む時に感情を揺さぶられることは滅多にありませんが、この時ばかりは、ワインの表現力のあまりの豊さに、仕事を忘れてつい感極まってしまいました。
自らのワインを熱く語るディディエ・セギエ氏。
(つづく)
Photographs by Taisuke Yoshida,
Special Thanks to BIVB(ブルゴーニュワイン委員会)