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もう一つの高貴な泡、フランチャコルタ❼

2018.12.03

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もう一つの高貴な泡、フランチャコルタ❼

歴史上の著名人と縁のあるワイナリーは数多ありますが、エステートの領主がモーツァルトと知友だった過去を持つワイナリーとなると「バローネ・ピッツィーニ」以外に僕は知りません。ワイナリー名の由来となったピッツィーニ・フォン・ツールベルク男爵は1750年頃、このエステートを所有。彼の友人だったモーツァルトとその父親レオポルトが旅行中ここに立ち寄ったというエピソードが残っています。

創業者の跡を継いだジュリオ・ピッツィーニ・ピオマルタ・フォン・ツールベルク。彼の息子がエドアルド。

1870年、エンリコとベルナルディーノのピッツィーニ兄弟が、この地で農園会社を設立。その孫のエドアルドの時代になって、ようやくワイン造りをスタートさせます(この時点ではまだフランチャコルタではなくスティルワイン)。


ワイナリー正面。温室効果ガス削減のため、地元の建材が使われている。

このエドアルドという人はなかなかの粋人だったようで、1927年にはこの辺りで最初のゴルフ場をオープン(この史実にちなみ、同社には「ゴルフ1927」という名のフランチャコルタがある)。また、騎兵学校に通っていた時に知り合った空軍の英雄フランチェスコ・バラッカの愛馬の絵を描き(わざと馬が暴れている絵を描いた)、遠征中のバラッカに送ったところ、彼が大いにこの絵を気に入り、そのまま飛行機のボディに描かせたというエピソードが残っています。この暴れ馬の絵は後にイタリアが誇る名車、フェラーリのトレードマークになります。


「バローネ・ピッツィーニ」のラインナップ。右端が「ゴルフ1927」。


エドアルドが描いた馬の絵がフェラーリのトレードマークになった(©BARONE PIZZINI)。

戦後になって、ジュリオ・ピッツィーニが継承。71年、初めてのフランチャコルタを生産します。93年、ジュリオが高齢になったのを理由にワイナリーを売却。地元出身の3人が共同して買い取りました。その中のひとりが現在、代表取締役を務めるシルヴァーノ・ブレシャニーニ氏です。


シルヴァーノ・ブレシャニーニ氏。

ミラノの2つ星レストランでシェフ兼ソムリエをしていたブレシャニーニ氏は、地域の他の生産者に先駆け、98年からブドウの有機栽培への転換に挑戦します。2001年には所有する全てのブドウ畑で有機認証を取得。02年には初のオーガニック・フランチャコルタをリリースします。

有機農法と草生栽培により、ブドウ畑はまるで花園のよう。


左から、フラッグシップの「アニマンテ」、「サテン2011」、「ロゼ2011」、単一畑のブドウを用い、ドザージュゼロで造る「バグナドーレ パ・ドゼ リゼルヴァ2008」。

現在ではフランチャコルタ全体で約70%のブドウ畑が有機栽培に 転換しています。世界的に有機への流れは力強いものがありますが、大抵の産地は「実践しているのは全体の7〜8%」といった状況です。いかにフランチャコルタが進歩的であるかがわかると思います。この動きの先頭に立ったのが「バローネ・ピッツィーニ」であり、ブレシャニーニ氏だったのです。3年前に当時のフランチャコルタ協会会長だったマウリツィオ・ザネッラ氏(「カ・デル・ボスコ」社長)にインタビューした際、彼は「フランチャコルタでは100%有機栽培のワイン産地になるべく、取り組んでいます」と誇らしげに語っていました。

(つづく)

Photographs by Yasuyuki Ukita



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