SALON COLUMN

もう一つの高貴な泡、フランチャコルタ❺

2018.10.30

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もう一つの高貴な泡、フランチャコルタ❺

フランチャコルタには「世界で最も厳しい」と生産者らが自負する生産規則があります。使用できる品種はピノネロ(ピノノワール)、シャルドネ、ピノビアンコ(ピノブラン)の3種のみ。二次発酵後、澱とワインが接したままで行われる瓶内熟成期間は最低18カ月間(シャンパーニュは最低15カ月間)。単一収穫年のブドウを85%以上使うことが義務付けられたミレジマート(ヴィンテージ)は収穫後37カ月以上を経てリリース。またリゼルヴァは卓越した収穫年のブドウのみで醸造し、収穫後5年半以上を経てリリースすることが定められています。シャンパーニュ のブラン・ド・ブランに当たるのがサテンですが、これは使用品種がシャルドネとピノビアンコに限られるだけでなく、ブリュットなどよりも低めの4〜4.5気圧以下に内圧を抑えなければなりません。

いつもダンディなザネッラ氏。

フランチャコルタのリーディング・カンパニー「カ・デル・ボスコ」の社長マウリツィオ・ザネッラ氏にインタビューしたのは2015年の夏、ちょうどミラノ万博が開催されている時期でした。 フランチャコルタがわずか50年という短い時間で一級の産地に成長することができた要因について訊ねると、当時、フランチャコルタ協会の会長を務めていたザネッラ氏は既述の「テロワール」「厳しい生産規則」に加え、「人間の意志」を挙げました。彼の成功秘話を知り、現在に至るワイン造りに対する姿勢を目の当たりにすると、この「人間の意志」という言葉に重しが加わったような気になります。


ザネッラ氏の母、アンナマリア・クレメンティ(左)。
彼女に捧げられた「アンナマリア・クレメンティ」はシュールリの期間が5年8カ月の特別なキュヴェ。

ザネッラ氏はトレンティーノ=アルト・アディジェ州のボルツァーノで生まれました。家族は程なくミラノに移ります。子供の頃の将来の夢は、ローマ法王か消防士になること。ティーンエージャーになると、学生運動にも加わり、投獄された経験もあります。「荒れていましたね」と本人が自白しています。15歳の時、マウリツィオ少年は「更生のために」イギリスのマンチェスターに送り込まれ、港湾施設で数カ月間働くという経験もしました。同じ頃、母親のアンナマリアがフランチャコルタのエルブスコに2haの土地を購入し、小さな家を建て、ブドウ畑を開きました。この栗林の中の土地が後にカ・デル・ボスコ(「森の家」という意味)のエステートになります。マウリツィオ少年は「更生」の延長でこの森の家に住まわされ、ここから学校に通いました。

今もエステートの片隅に残されている「森の家」。ここから全ては始まった。

転機が訪れたのは、地方自治体が組織した、フランスのワイン産地を巡る研修旅行に参加したことでした。少年は「ワイン造りに興味があるから行かせてほしい」と母親を説得しましたが、本音は「森の家」から逃げ出したかったのです。

随所に現代アートを配した今日の「カ・デル・ボスコ」。


右から、ACミラン優勝のセレモニーにも使われた「キュヴェ・プレステージ」「アンナマリア・クレメンティ」「ヴィンテージ・コレクション・サテン2013」

この旅行中に、少年は「雷に打たれたように」ワインに目覚めます。最後に訪ねたドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティで3本のボトルを買ったことを本人は覚えていると言います。またシャンパーニュではモエ・エ・シャンドンを訪ねて、その設備に衝撃を喰らったと語っています。帰国後、航路の定まったザネッラ氏の新たなジャーニーが始まりました。ボーヌ(ブルゴーニュ)とボルドーで醸造を学んでフランチャコルタに戻ると、いよいよ自らのワイン造りに入ります。

(つづく)

Photographs by Yasuyuki Ukita, Ca’ del Boco



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