小さな大陸、シチリア➓
2018.05.28
グルフィの創業者、故ヴィト・カターニャ氏はちょっと変わったバックグラウンドを持っていました。シチリアで生まれ、パリで育ったヴィトはF1のレーシングカーに使う特別な油脂を製造する会社の経営で財を成した人物。ブルゴーニュワインをこよなく愛していましたが、自らワイン造りに関わることになるとは思ってもみなかったようです。彼がまず思い立ったのは故郷で良質なオリーブオイルを生産すること。そのための適地として白羽の矢が立ったのはシチリア南東部シラクーザ県のキアラモンティ・グルフィという人口8200人ほどのコムーネ(村)でした。
グルフィに着く直前に路傍で見つけたマリア様の小さな祠。
ワイナリーとロカンダ、共通のエントランス。
グルフィから望むキアラモンティ・グルフィの田園風景。
僕がグルフィを訪ねたとき、最後のアプローチはかなりの急勾配を車で登ったのを覚えています。醸造所兼ロカンダ(オーベルジュ)になっている社屋のあるところは標高450mだと聞きました。このコラムを愛読していただいている人には繰り返しになりますが、この辺りはシチリア島内でも最も暑くなる土地ですが、標高が高いか、風がよく吹くか、いずれかの条件を満たす土地では土着のネーロ・ダヴォラから極めて質の高い赤ワインができます。中には「詩的」と表現したくなるほど、ニュアンスに富んだものもあります。ヴィトはこの土地と出会ったことで運命的にネーロ・ダヴォラとも出会うことになりました。そして、「ここでブルゴーニュのようなワインを造ってみたい」という野心を抱くようになります。
地階の醸造所と2階のレストランを結ぶホール。床には「エロスとプシュケー」の意匠が。
エロス(愛)とプシュケー(美)はグルフィのワイン造りの哲学の根幹をなすものだという。
ワイナリーが竣工したのは2000年のこと。まだ「新参者」と呼ばれそうな歴史の浅いワイナリーですが、当初からは畑ではオーガニック、無灌漑を徹底、収穫は手摘みで行い、小さめのバスケットで運ぶなど、丁寧な仕事で、「量よりも質」にこだわりました。「クリュ」の概念を取り入れ、区画ごとの個性をそのまま写し取る造りを重んじました。そうして生まれたワインは、最初から世間を驚かせるレベルの出来栄えでした。
「ヴァルカンツィリア」はシャルドネとカリカンテのブレンド。張りのあるミネラル感。
レモン、白い花、はちみつのトーンに白系スパイスとトロピカルフルーツが交じる。
ソムリエのジョヴァンニ・ストラックァダーニョ氏。
僕が初めてグルフィのワインを本格的に試飲したのは2016年のことでした。シチリア全土から生産者がワインを持って集まったテイスティング・イベントの会場でのこと。ヴィトの愛息子で、今はグルフィを継承しているマッテオ・カターニャさんの前の椅子に着いたのはいくつものブースを回って、すでに多くのワインを試した後でした。しかし、傑出したワインというのは、どんな悪条件のもとでも輝きを放つものです。マッテオさんが次々とグラスの注いでくれるワインを試すうちに、僕の脳内に興奮物質がドッと湧き出てきました。白も赤もそれぞれに強いアロマ、濃い味わいを持っていながら、なお重くない。陰影があると表現してもいいと思います。そして何よりもグルフィのワインは生命力に溢れているのに驚かされました。
クリュ・シリーズ。通して飲むと、畑ごとの個性がクッキリと出ていて、
ネーロ・ダヴォラという品種の懐の深さ、土地との相性の良さがよく理解できる。
その翌年、グルフィのエステートを訪ね、再びテイスティングをさせてもらいました。ノート地区の畑でクリュごとに造られる「ネロブファレッフィ」「ネロバローニ」「ネロマッカリ」「ネロサンロレ」は、いずれもシチリアワインを語るときに外すことのできないネーロ・ダヴォラの白眉だと思います。それぞれに際立った個性がありますが、すべてのワインに共通するのは黒オリーブとローズマリーとローリエのトーン。想像するだけで、香ばしくグリルされた赤身の肉が食べたくなりませんか?
グリーンピース、そら豆、アスパラガス、かぼちゃの花、初夏の味覚を集めたブルーテ。ロカンダ・グルフィのメニューから。
僕は常日頃から「ワインを飲むのはグラスの中で旅をすることだ」と言っています。理想は、ワインの造られた土地を訪ねること。一度産地を訪ねれば、その後はどこでワインを開けても、グラスの中で我々はその土地を再訪することができます。たとえ実際にその土地には行けなくても、ワインのバックグラウンドを知れば、味わいはグンと深まります。ということで、グルフィ訪問の際、ついでに立ち寄った「チョコレートの町」モディカのことを少しだけ紹介しましょう。
モディカ、「アンティカ・ドルチェリア・ボナイユート」のチョコレート。
シチリア土産として最もよく知られているのは、ザクザクとした粗い口当たりが特徴的なモディカのチョコレートです。カカオバターを使っていないので、口の中で溶けません。これは、スペイン統治下の時代に伝わったままのレシピで今も作られているから。スーツケースの中でも溶けないから、お土産にも好適というわけです。
「タリア」の客室。
モディカは町自体が「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」として世界遺産にも登録されている美しいところです。同行のカメラマンT氏がかつて取材で訪ねたというホテルに連れて行ってくれました。「タリア」(http://www.casatalia.it)は谷になったモディカの町を見晴らす丘の中腹に立つガーデンコテージでした。生活の速度をスローダウンするためにこの土地に移り住んだミラノの建築家夫妻が、古民家をリノベートして、アラブ風の内装を施し、隠れ家的な宿として再生させたのがこのホテル。テラスになった庭から眺める世界遺産の街並みは息を飲む美しさです。夕間暮れの時間帯に、こんな場所でグルフィの白やロゼを飲んだら、きっと生涯忘れることのない旅のワンシーンになることでしょう。
モディカの街並みを望むガーデンテラス。
(つづく)
Photographs by Taisuke Yoshida