ワインは心も国も開くもの
2017.08.24
10年ほど前、とある雑誌の企画の取材で、神秘学にも詳しい心理占星術研究家のKさんとボルドーを訪ねたことがあります。ボルドーのすぐそばにはローセルという1万年以上前にさかのぼる遺跡があり、「石器時代のヴィーナス」と呼ばれる地母神像が出土しています。その、現代人の目から見るといささか太り過ぎの女神は三日月の形をした杯を手にしていて、中身はワインだと言われています。他にもボルドーでは多くの遺跡で列柱の意匠などにブドウのモチーフがよく見られます。そんなボルドーのことだから、きっとワインに関する神秘的な伝承や神話のたぐいがたくさんあるに違いない! そう思って出かけたのでした。ところが‥‥
サンテミリオンのバン・デ・ヴァンダンジュのようす。赤い装束を身にまとったジュラードが王の塔の上で収穫公示を宣言する。
シャトー・デュ・ムーラン・ルージュのルーシー・リベロ=セクレさん
シャトー・ラ・ローズ・ベルヴューのヴァレリー・エイマスさん
「いや、ボルドーにはワインにまつわる神秘的な伝承や神話はとくにはありませんよ。ボルドーではワインを商材として成り立たせるために徹頭徹尾合理的な発想によって物事を運んできたのですから」ボルドー大学のP・ルディエール教授(当時)のにべもない言葉にわれわれは肩すかしを食らい、へなへなと萎れてしまいそうになりました。
「その代わりにといってはなんですが‥‥」われわれの落胆ぶりを見た教授が言葉を継ぎました。
ルディエール教授によれば、フランスの近代の政治経済の歴史はワインとともにあったとのこと。18世紀、フランスの国策には2つの陣営があったそうです。ひとつは小麦をもっと生産するべきだと唱えるグループ。もうひとつはブドウをもっと生産するべきだと唱えるグループです。まずは自給自足を考え、自国の国民を食わせよう、というのが「小麦派」の立場。一方、もっとブドウを栽培し、たくさんワインを造って輸出し、貿易によって国の財を増やそうというというのが「ブドウ派」の立場でした。
ソーテルヌ格付け1級のシャトー・ド・レイヌ・ヴィニョーでは地上10メートルほどの樹上に据えられた「空中テーブル」でのテイスティングが楽しめる
つまり小麦は内向きの発想のシンボル。ブドウは外向きの発想のシンボルだったというわけです。ボルドー出身者にはMの頭文字を持つ3人の偉人がいると言われています。『エセー』を著した哲学者のモンテーニュ、『法の精神』で知られる啓蒙思想家のモンテスキュー、ノーベル文学賞作家のモーリアックの3人です。そのうちの一人、モンテスキューも「ブドウ派」だったそうです。モンテスキューの思想がルソーに受け継がれ、やがてはフランス革命へとつながっていったことはご存知の通りです。フランスは小麦ではなくブドウ(ワイン)を選び、自由の精神とオープンな気風を勝ち取ったというわけです。
シャトー・ド・レイヌ・ヴィニョーのソーテルヌ、2アイテム
歴史にifはないと言いますが、もし、その時「小麦派」が勝利していたら、ボルドーはもちろん、世界のワインの味わいも、エスプリの効いたパリの魅力も、今あるものとはまったく別のものになっていたかもしれません。ワインは心も国も開くもの。それがグッド・ワインならなおさらです。そう聞くと、思い当たるふしがあるという人もいらっしゃるのでは?
バン・デ・ヴァンダンジュを祝う午餐
ボルドー市内、グラン・テアトル前に立つトリックアート
Photographs by Hiromichi Kataoka